タイトルは孔子の言葉。
そういえば、昔聞いた言葉です。
この言葉で思う浮かぶことは、人生における転換期というものだ。
やはり生きている年代によって環境も変っていきます。私は30代に突入したときが一つの分岐点でした。社会人としては第2の人生の幕開けでしょう。すると、なぜかはるか昔の小学生時代の古い友人2人とまた会うことになったり、逆にそれまで付き合いの長かった友人とは会う回数が減って言ったのであります。またそれとは逆に、それまで私の環境にいた人とは違った、何人もの新しい友人もできたのであります。
別にこれが良いとか悪いとかではないのである。一つ言える事は、それまで自分の周りに張っていたアンテナの方向性が変り、またその新しい方向性の感度がアップからでしょう。やはり人生の方向性が同じ人とは自然と巡り合うということでしょうか。そういう観点からいうと、人生の早い段階で人生の方向性が決定し、それに向かってまい進している人たちは若いときから生涯の友と呼べる人と知り合っているのかもしれません。
また私の環境も40代になると変るのでしょうか?
第1133回
■LさんからのQ(質問):友達とは・・
こんにちは、Q先生。
50才を越えたこの歳でこのような質問をすることは、
すこし情けないことでも有るのですが、
友人とは、友とは(?)どういった人なのでしょうか??
友は年代、状況において変わっていくこともありますし、
又、幼少の頃からの変わらない人もいます。
ただ、この年代でしょうか生き残りを賭けたシガラミに、
あらがいながら徒花のように消える友情の場面にも遭遇します。
要は権力(利権)を持たない個人間には
固執する個人の利害(蜘蛛の糸)のようで、
だけでは・・つまらないと・・。
人が誠意以外で人をあつかうなら、
この世の中は真に意味の無い世界だと想うのですが、
それ程の執着を私には理解できません。
建某述策(?)は想案する当事者に私心を越えた誠実があれば
まだ救われるといおもうのですが・・
丁寧な行き方がほかにあると信じる50代です。
■QさんからのA(答え)
誰でも信用のできる友人を持ちたいと考えます。
しかしまた、自分が信用していた人に裏切られるということも
しょちゅうあることです。
その度に地団駄踏んでも仕方ないので、
そういうことがあるということを前提にして
人と付き合うということも必要です。
戦国時代に生きた武将たちは
それこそいつ寝首をかかれるかわからないということがあって、
しょっちゅう自分の部下を疑わなきゃいけなかったんです。
したがってその時代に自分の部下を何で評価するかと言うと、
頭がいいとか、知恵があるとか
素早く対応できる人が本当は欲しいんだけど、
そういう人は知恵がある分だけ寝返る可能性が高いので、
一番大切にしたのが誠実な人じゃないかと思うんです。
ところが誠実な人は馬鹿の一つ覚えで
言うことは聞いてくれるけども、
なかなか融通のできないところがあって、
上に立つ人はみな頭を抱えたに違いありません。
そういう意味ではどちらがいいかということではなくて、
誠実さもあれば頭もいいというのが一番いいんだけど、
ないものねだりをしても仕様がないので
その辺の所は自分が
ちゃんと対応できるようにしなければいけないと思うんです。
学生時代の友人だって、いつまでも友人でいてくれません。
歩く道が違ってくると、話が合わなくなるんです。
孔子も言っているでしょう。
「道を同じくしない人を友とするなかれ」と。
話が少しずれますが、アメリカの会社紹介の欄では、"Mission"という項目があります。日本の会社でも「経営理念」とか「会社理念」と紹介されています。ただ、日本の会社
は形式的なものと思い込んでいる人が多いことに対して、アメリカの会社の方がより実感的(体感的)に"Mission"を掲げている気がします。これは多民族社会であるアメリカならではの必要不可欠な、合目的理由によるものでしょう。
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